忘れたくない記憶の補完

関ジャニ∞とAぇ! groupに関する忘備録

遠回りくらいがちょうどいい

9月7日の大倉くんと高橋くん。大倉くんの気持ちが詰まった部分を書き起こしました。

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eighterのみなさんへ


今回自分の考えをしっかりと伝えたいと思い手紙を書いてきました。聞いていただければ幸いです。


この度、亮ちゃんが抜けて関ジャニ∞が5人になるということになりました。同期の亮ちゃん、ヤス、丸とは、出会って約22年、僕にとっては唯一ですね、幼馴染のような存在です。たくさんの時間を過ごして喜び、悲しみ、いろんなことを分け合ってここまで過ごしてきました。


僕たちは個々の思いが強いことや強烈な個性が集まっているからこそ、今までたくさんぶつかってきました。それでも内(博貴)が抜けてからずっと7人で走ってきました。


みなさんにたくさんの夢も叶えてもらって、たくさんの素敵な景色も見させてもらいました。その時の僕はですね、グループとは永遠に続くものだと当たり前のように思っていました。ですがすばるくんの脱退ということで、永遠はないのだと改めて知り、ヤスの病気で命について深く考え、濃い2年間を過ごしてきました。


7人が6人になること、世間からは一人減るだけ。言葉にすればそれで終わりですがそんな簡単なことではありませんでした。一人がいなくなることにより、絶妙に保っていたバランスが急に崩れてしまいました。そこからヤスが動けない状態での5大ドームツアー。どうにかみんなに気付かれないように頑張っていたんですけれど、心は擦り切れて限界に近づいていました。


そして、そんな状態でこの6人でこれからどうやってアプローチしていくんだという会話をはじめました。でもいまで精一杯なのに来年の事なんて考えられないと、2004年活動をから初めて立ち止まりました。


そこから6人になった自分たちの方向性、来年はどうすんだと何も見えない中、手探りで話しあい、一度立ち止まろうとか全員がグループを閉じる覚悟もしたはずです。


そんな心の状態で話しても、ネガティブな意見しか出ないものです。それでも6人で時間をかけてたくさん話し合った結果、今この選択になりました。

 

チャレンジの方向性の違いです。亮ちゃんは多くを語る人ではない分、これから自分の活動で体現していくはずです。3月末にはですね、いまの状態になることが決まり、約半年、どうやったらエイターのみんなが安心してくれるんだろうとすごく考えた結果、いつかもう一度やりたかった47都道府県ツアーでみんなに直接会いたい、とスタッフに申し出ました。


新しい僕らの方向性も示さなきゃいけない、複雑なエイターの子たちにこれで進んでいくんだと決意、覚悟を見せなければいけない。正直ハードルは高いと思います。でも傷だらけでも泥臭くても前を向いて上を目指していこうと。僕らはもともとあきらめの悪い人たちです。こんな状態でも頑張っていこうと、今5人で結束しています。


まだ発表されて2日。エイターのみんなも気持ちが追いついてないと思います。素直に応援できない人もいると思います。実際、5人になって覚悟できていたはずの僕もぽっかり心に穴が空いたみたいですけど。うん、すげえ寂しいですね。


でも一歩ずつゆっくりでいいから、歩き出さなきゃいけないと、僕たちは歩き出そうと頑張ってます。でもみんなはまだ、立ち止まっててもいいかなと。後ろを振り返ってても全然大丈夫です。時間がたってもう一度前を向いたときに、ちゃんと僕たちがそこに立っていられるように、笑顔で迎えられるように準備をします。


やっぱりいろいろあったこの2年間はめっちゃしんどかった。でも改めて僕は関ジャニ∞というグループを愛しているんだと再確認できる時間でもありました。


今まで夢をみて過ごしてきた15年間は僕、本当に宝物のようなキラキラした僕にとっての青春です。だからこそ15年を祝ってもらう、そして自分たちにとってもめでたいライブを悲しいものにしたくない。そしてエイターのみんなには心から楽しんでもらいたいというところから、発表はライブが終わってからということに決めました。

 

「十五祭」のライブはですね、セットリスト、細かい演出まで初めてすべて僕が担当しました。何一つ嘘はついてないつもりですし、全ての演出に意味を持たせたつもりです。なのでメンバーは何にも悪くない。納得いかないことがあるなら僕の演出が間違っていたということです。責めるなら僕を責めてください。ただ僕の横には仲間がいます。重い荷物を分けてくれる持ってくれる頼もしいお兄ちゃんたちがいます。


なので大丈夫です。泣きたいときは泣きますし、辛いときはしんどいってちゃんと言います。みんなも自分の気持ちには嘘をつかず、5人になった僕たちに正直に向き合ってくれて大丈夫です。


スカパラ谷中さんが僕たちの1年前のことを歌にしてくれた『メモリー・バンド』という曲の歌詞の中に『ぼくら人生というステージの上にはいつだって全員で並んでいる』もうそのとおりで、これからもそれに変わりはありません。僕にとってもグループのメンバーにとっても一度きりの人生。今の選択が正解になるようにがんばります。


ただね、ライブが終わったばっかりで2日前に発表もあって正直今みんなもそうかもしれないし、そうかもしれないというかそうだと思うけど、心身ともにすごく疲れてます。

 

このラジオで優くんのファンもいる中こんな時間を設けさせていただきここまで語らせていただいて本当にありがとうございました。


だからいろんな記者さんたちがいると思うんですけど、もうこれ以上はないので(笑)僕たち6人をもう追っかけないでもらえるとありがたいです(笑)。


エイターのみんなには本当に感謝しています。あなたたちがいたからこの半年ずっっと笑顔でいられました。みんなも日々辛いこと悲しいことね、たくさんあるよね。でもだからこそ、ライブで笑顔で会えるあの瞬間がすごい幸せだよね。

 

まあ明日からお互いがんばって、またライブで会えるときはまあ泣いててもいいから、笑顔で会えるといいなと思ってます。お互い元気もらって支え合ってここまでこられたと自分では思ってるんで、これからもこんな大変な俺たちだけどよろしくお願いします。


これはもう本当に、メンバーも関係なく、事務所も関係なく、個人的な意見を言わせてもらいますが、こういうことがあるといつも突然だから安心できないよね。もし次こういうことがあるなら、僕はもう終わりでいいと思うし、ちゃんとお互い心の準備ができるよう発表したいと自分は思ってます。


リスナーのみなさん、個人的なお手紙おつきあいありがとうございました。


2019年9月7日 大倉忠義より

 

 

 

高橋「はい」

大倉「ありがとうございます!すいません、もうこれ以上のこともないですしこれ以下でもないですし。なんかあのー、素直に言わせてもらえる場所だったんで。どうすればいいやろうと思いながらひとり部屋でずっと書いてたんですけど」

~中略

高橋「あれ(十五祭)はほんとに細部に渡るまで大倉さんが演出だったんだね」

大倉「なんかね、そうすね。自分がしたいなというところで。映像とかもいろんなところの全部。自分でこんなん言うの嫌なんですけど今回に関しては自分がやるって決めましたね。色んなことどんなことをやっても腑に落ちない子たちが絶対出てくるし、そんな完璧なライブなんてオレら作れるわけないし。ただ、全員で話し合って、より自分がそれを作ってることによって、受け取り方が人によっては違うかもしれないけど、でも自分が15周年のライブ作りたかったのもあるし」

高橋「東京ドームって大きな会場なんですけど、今までで1番近く感じた気がしました」

大倉「あー嬉しい」

~中略

大倉「15年オレらはやってきてるけど、えー2002年からだから17年、18年応援してくれてる人たちも懐かしく思えるような、いつファンになってくれた人も楽しめるような公演になってほしかったし、ボクらがオープニングの映像で松竹座の、多分全員は知らないんですよ、1回松竹座の、緞帳ってあるじゃないですか、上がっていくやつ、になる瞬間があるんですよ。リアルに松竹座のブーってブザーが鳴るんですよね、あれ。オープニングの映像で。で、多分ほぼほぼ(ファンは)15年前のボクたちには会えてないんですよ。でも15年前の松竹座にみんなを連れて行きたかったんですよ。ていうところから始まって。で、すばるくん、内もおったし始まった時は。でも先程言った通り嘘はない公演にしたかったし、みんなに近い公演にしたかったし。最近はバンドも多かったからバンドじゃない自分たちの魅力もちゃんと知ってほしかったし。関係者の方には色々もっとバンド聞きたかったよーとか言われたりとかあったんですけど、今回のことは申し訳ないけど関係者のために作ってるライブではないので。. . .これ聞いて仕事すんのやめよとか思わないでくださいね、関係者の人」

高橋「思わないでしょ!バンドやらないから仕事切るってどんな関係者よ!」

大倉「オレらとファンのためのライブだから。それをめちゃくちゃ大事にしたかった。自分たちも楽しかったし。めちゃくちゃ楽しかった!」

~中略

大倉「色んな意見がおありでしょうがボクらはすごく楽しくできたし、6人で15周年ライブ十五祭を9月3日までやらさせてもらいましたけど、ちゃんとやり遂げることができたかな、と思いました」

~中略

大倉「ボクらは去年から色々話だしてたところもあるのでみんなとは時間の流れ方が、1年続けてずっと話し合ってきたのと2日前3日前に聞いた事っていうのは絶対違うので、いざやっぱりボクらも5人になってみてっていうところは今から多分思っていくところだし、全然すぐに整理ついてなんていうつもりもなくて。無理だしそんなの。勝手にねこっちが47というのを掲げてやっていくことを決めたかもしれないけど、そんなの全然オレらに乗っかってくれなくていいし。止まることってできないんですよね。休むこともできるだろうし止まることもできるだろうけど、それをしちゃうとすげぇ力がもっといりそうで。今より。ずっと走ってきて、例えが合ってないかもしれないけど、ランナーズハイになってる状態から1回ゴールして家に帰って休んじゃってってなると、もう1回そこまでいく自分の精神状態とか身体もどっちもそうだし、そこまでいくのが大変な気がして。このまま、自分勝手だけどオレらは走り続けてなくちゃいけないのかなと思って。ボクらが強制することなんてほんとなくて。ただ次のところにいく所までは自分も1回休みたいっていうのはあるけど。でも次のところからこんちくしょー!っていうのもあるからすぐ走り出したいなって思ってるんで。そのまんまいてくれたらなあって。無理せず。っていうのが正直なところですね」

~中略

大倉「100%お客さんの好みにできるかっていうとできないわけで。でもなるべく100人いたら91人くらいがいいと言ってくれるライブを今回は目指しました。いつもは80人いてくれたら成功だと思ってるんですけど、91人ぐらいいてくれなあかんな、という思いで。なるべく!」

高橋「15年やってきてるしね。そこについてきてくれてる人たちの数も考えての91人ってことね」

大倉「分からなきゃいけないだろう!オレたちは!っていう。めっちゃ楽しかったですよ。ボクはね、ライブに行くことってその日にテーマパークに行くのと一緒だと思ってて。友達と約束してさ、行く時って家出る瞬間からすげー楽しいじゃないですか。前日からウキウキして寝られないかもしれないし、洋服とかどうしようとか考えてる時間だったり。電車の間も関係ある歌を聞いてたりとか。ということを考えると、もう家から始まってるんじゃないのかなとか色々考えたりして。スタッフさんと。いつもより長い期間話せたんですよね。それはすごいよかったですね。色々とわがままも言わせてもらいましたけど。周年て面白いもんだな、と思って」

 

 

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泣きながら聞いたし泣きながら書き起こしをした。いつも真摯にファンに向き合って正直に話してくれる大倉くんは本当に信頼出来る大好きな自担です。心から誇らしい。

 

十五祭は本当に楽しかったあ!

あんなに楽しい周年コンサートをありがとう。

これまでもこれからも愛してます。

 

 

東京スカパラダイスオーケストラ

モリーバンド

https://youtu.be/pQ48JKosTQo